高来町湯江地区―
日本名水100選にも指定される「轟峡」の水が流れるこの地区には以前、その名水を使って栄えた産業があった。
「湯江紙」と呼ばれる和紙づくりだ。
「栄えた」というのは、湯江紙が約30年前に消滅し、現在は産業自体がなくなってしまったからだ。
しかし、その湯江紙を復活させようと取り組む有志の団体「とどろき紙工房」の活動により、湯江紙作りを体験することができる。
人は「オリジナル」という言葉に弱い。
「自分だけのうちわ」や「世界に一枚のはがき」というととても魅力的だ。
そのせいもあり、オリジナルの和紙を作ることができる
「週末だけの紙漉き体験」が人気を博している。
ここで湯江紙の歴史について話そう。
高来町で和紙の製造が始まったのは1850年頃。
手漉き和紙の本場であった佐賀県の職人が偶然立ち寄ったところ、この地区の水の美しさに惚れ、和紙作りを伝えていったとされている。
引きが強く変色しにくいのが特徴で、高級ちり紙として長崎の高級料亭である「花月」でも使われ、障子紙としても評判が高く全国各地に納められていた。
当時は川沿いに続くほとんどの長屋で手漉き和紙を製造していて、
高来町の貴重な産業となっていた。
しかし、時代の流れとともに大量生産が可能で価格も安い機械漉きの紙が出回りだすと急速に手漉き和紙は需要が減りみるみる下火となった。
100軒ほどあった工場は1970年頃を最後に消滅―。
120年続いた「湯江紙」の歴史は幕を閉じた。
それから30年余り―。
一度は消滅した「湯江紙」を再び地元の名産品にしようと立ち上がった団体がある。
それが「とどろき紙工房」。有志の団体だ。
2010年に発足したこのグループは、40代から50代で構成されていてパン屋を営む者から、電気業、製造業、農業など職業も様々。
工房はもともと市の森林施設だった場所を借り、
メンバーそれぞれの得意分野を生かし、内装から紙漉きの道具までほとんど手作りで、
紙漉きが出来る環境づくりを始めた。
例えば材料や水を混ぜておく「舟」は使用していない調理場の流しを改造した。
漉いた紙を乾燥させる台は、調理台を用いた。
脱水機に至っては掃除機を改造したというからたいしたものだ。
そんな環境下で体験する紙漉きは実に面白い。
「紙漉きは難しい」「素人にはできない」― そんな不安を一気に拭い去ってくれる
うまく漉けなくてもいいのだ。
職人でもない、決まりもない。すべてがあなたのオリジナル。
完成すると、誰もが笑顔になってしまう。
「何に使おうかな~」「また来たいな~」
そんな会話をしながら工房を去っていく。
ぜひあなたにも、120年の「湯江紙」の歴史と「オリジナル」の楽しさを味わっていただきたい。