歴史

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『もうひとつの眼鏡橋』第一章
ミニ眼鏡橋の里帰り

map_button諫早市高城町 高城公園

歳を重ねるごとに、故郷でも子どもの頃には関心がなかったことに心が向くようになった。「眼鏡橋」もまたそのひとつで、今となっては、帰省の際には眺めに行くことも少なくない。

 

橋の長さは約50m。架けられた江戸時代では日本最大の石橋で、階段を上った中央に、本物の眼鏡の形のようにくぼみがあるのは、日本ではここだけと言われている。

 

平成24年の冬、この大きな眼鏡橋のすぐそばに、同じ形で1/5サイズの「ミニ眼鏡橋」がお目見えした。長さ約10m、幅1,1mと小ぶりなので「ミニ」。新たな観光スポットとしてデビューしたかのようなミニ眼鏡橋だが、実はこの橋、48年ぶりに諫早に里帰りした、貴重な歴史的建造物である。

 

約半世紀ぶりに揃ったふたつの橋を眺めながら、「ミニ眼鏡橋があると、眼鏡橋がさらに生きますね」と目を細める男性がいる。3年かけて里帰り活動に取り組んできた伊藤秀敏さんだ。

 

伊藤さんには、ふたつの橋に特別の思いがある。

 

大きな眼鏡橋は、昭和32年の諫早大水害後、石橋として初めて国の重要文化財に指定され、本明川から諫早公園に移築復元されることになった。重要文化財に指定されたことで、橋を構成している2800個のすべての石に価値がついたため、移築復元の際に、石を切ることや削ることが絶対に許されないという難事業だった。

 

この厳しい作業を任されたのが、当時、市の土木課に勤務していた伊藤さんたちだ。全国でも例の無い、初めての工事。文献や図面はどこにもなかった。伊藤さんたちは、熟慮の末、本物と同じ材質の石を使って、縮尺1/5の橋の模型を作り、実験を重ねて設計図を作るしかないと考えた。

 

作業工程は、

①模型を作るために、眼鏡橋の2800個の石を測定する。

②測定値をもとに、眼鏡橋と同じ石、同じ技法で模型を作る

③模型を使い、石の強度や組み立て方を実験する。

④実験データをもとに、橋の設計図を作る。

⑤橋を復元する。の5段階。

 

文字で書くのは容易だが、石の重さは1つ50㎏~4tもあり、採寸を始め、すべての工程で苦労の連続。昼夜を問わず、図面づくりに徹し、蛍光灯の下で一夜を過ごすこともあった。採寸と図面作成に6ヶ月。その後、諫早北高石工組合に模型の製作をお願いし、3ヶ月で完成。その模型を使って実験を繰り返すこと10ヶ月。こうして眼鏡橋復元の心臓部とも言うべき、復元技術のデータを作り上げたのだ。

 

これらの作業は、一見、多くの人々に喜ばれそうなものであるが、実は、ほとんど人の目に触れることなく、締め切った建物の中で行われている。何故なら、水害時、橋は川の水をせき止めて氾濫し、多くの犠牲者を出す原因ともなった。悲しい現実が橋の姿に重なる人も多い。辛い記憶を思い出させないようにと心が尽くされた。

 

こうして、取り掛かりから2年4ヶ月後の昭和36年9月。眼鏡橋は江戸時代の原型そのままに見事に蘇った。

 

橋の復元を叶えた模型は、出来栄えや精度の高さが認められ、当時、全国から国宝級の文化財を集めて野外展示されていた埼玉県のユネスコ村に譲渡され、清らかな水をたたえた風情のある池の上に設置された。伊藤さんたちは、模型はそこで永久保存されると信じ、喜び、万感の思いで送り出した。

 

しかし、優美な姿を湛えていた模型は、破損の一途を辿ることになる。

(ミニ眼鏡橋 第2章へつづく)。

 

 

2015年12月12日 /記 数原有希子

写真/伊藤秀敏 様

ミニ眼鏡橋里帰り実行委員会 様

数原有希子

川原孝子

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