1957年…昭和32年7月25日
諫早で、未曾有の大水害があった。630名の尊い命が奪われたという、辛くて悲しい歴史。諫早市ではこの犠牲者の冥福を祈り、又、防災の誓いを新たにするため、毎年7月25日に諫早公園前の本明川河川敷一帯で、慰霊のための祭りが開催されている。
河川敷に灯る 23,000本の蝋燭…その準備は、市民有志で行われている。
平成25年の夏、「美しくて悲しいお祭り」に、私は準備段階から密着取材をさせていただいた。私がお世話になったのは大昭会、大昭会とは、大正生まれと昭和生まれが中心となって、天満町に貢献されている団体である。皆さん揃いの黒いTシャツに身を包み、手慣れた様子でロープを張り、その目印に沿って蝋燭を並べていく。
辺りがすっかり暗くなる頃、規律正しく浮かび上がる美しい蝋燭の列は、こうした作業から生まれていたのだなと、改めて実感した。23,000本という数字は、被災された諫早の世帯数を表している。天満町でも多くの方々の尊い命が失われたそうだ。
本明川周辺には、沢山の出店が並び立ち、お祭りのムードをかきたてる。
川の両脇には、参拝台が設けてあり、水害で亡くなった方々のために人々は列をなしてお参りをされていた。
お祭りが行われるのは、万灯の火が燃え尽きるまでの
午後八時~九時までの一時間だけ…
この行事が「日本で一番短い祭り」と称される所以でもある。
多くの人々でごった返す会場に、八時になるとサイレンが鳴り響き、一分間の黙祷が捧げられる。人々はみな頭を垂れ、犠牲になった人々への慰霊の意を表していた。やはりこの祭りは普通の祭りではなく「祈念式典」なのだ。
そしていよいよ河川敷いっぱいの蝋燭に、一斉に灯がともされる。辺りは厳かで、幻想的な雰囲気に包まれていって…本当に…ほんとうに、不思議で美しい光景。川にも蝋燭が流れている、儚げな灯が水面に映えてゆらゆらと…切なく神秘的な情景である。辺りには本明川をイメージして作られた、と言われている格調高い琴の音、六段の調べが響き渡っていく。
会場では諫早市長、商工会議所会頭など、市のために尽力されている方々のお話が続く。このお祭りは諫早市民の手によって支えられている事、諫早市は「防災に強い街づくり」に力を注いでいる事など。
そして最後は、2000発といわれる花火で、祭りが締めくくられた。河川敷に広がる蝋燭の光と、ライトアップされた橋と夜空に広がる美しい花火…人々は皆歓声を上げ、その夏の夜の光景に見入っていた。
美しくて悲しい「日本一短いまつり」は
人々の胸の内に、災害の恐ろしさと
亡くなった方々への慰霊の念
そして、自然災害に対する新たな認識を残し
静かに幕を閉じていった。
2014年1月21日/記:写真 Photographer MILK 川原孝子